無題

この絵に対し、
何らかの教科書かなんかの中で

・立方体のガラス
・さかさまに置かれた箱
・針金の枠組細工
・立体角をなす3枚の板 

都度異なる解釈が与えられるとする。

すると、受け手の方でも都度その通りのものとして見る。
我々はこれを解釈し、その解釈の通りにこれを見る。
これ、ウィトゲンシュタインの考察の中に出てくる例です。


この例に言葉の危うさを感じます。
言葉で説明を与えられることで対象をそれに沿って見てしまう。

何かを考えるとき、人は言葉で考えます。
でも言葉の示す「もの」は本当にその「もの」を表せているだろうか。

そんな言葉で示され、そのように見てしまう。
抽象的なもの(端的に言葉で表せないもの)になればなるほど
その傾向が強くなってきます。


少し話が硬くなっちゃいましたが、
抽象的なものとして、たとえば音楽。
音楽性の説明、ジャンル名、履歴などの情報、
さらには情報発信者(とその性格)などなど・・・
言葉での翻訳がなされると
色付け、印象付けがされてしまう。

とはいえ、人は言葉で考え、言葉で伝達するわけで、
どうしても言葉を介在していくしかなく、
避けられない現象なのです。

今の世の中、WEBで個人発信可能になり、
自分で作った音楽に対し、言葉の発信も自分で出来る。
というよりもそれをやらなくちゃいけない。
作っている以上、聴いてもらう、見てもらうきっかけを作りたいですから。
大なり小なり言葉を添えなくてはいけない。

自由に捉えてもらいたいものに作り手が解釈をつける。
 これって否定的に思えがちなのですが、
むしろゲームみたいなもので面白いと感じて接していった方が健康的なのでしょう。
あとは自分の美意識の問題です。
どこまでしゃべるか。
言葉にどう接するか。



前置きが長くなりましたが、
最近新しい音楽を作り始めています。
ele-phantでもABNORMALSでも表現しにくくて
でもどうしても作りたい、自分なりの音世界です。

キーワードは
THRONES、GODFLESH、THIS HEAT、野生爆弾、
ジムトンプソン、ジュリアンジェインズ

せっかく新しいこと始めたので、
苦手なりに言葉で色付けしてみようという次第。

気になっていただける方、いずれ発表の折にはぜひ聴いてやってください。




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