音痴について

以前twitterで自身の音痴について書いた。

恥ずかしながらのツイートではあるが、
音痴ならではの体験として、
自信満々に歌ったことが後で聴くと
惨憺たる有様であるということが多々ある。
音痴ゆえにそんな体験を繰り返し、
心が頑丈になっている。
そんな自虐的な笑い話を書いた。

私は音痴だ。
若い頃は必死でこの事実に抗ってきたが、
何度も辛酸をなめてきて、残念ながら認めざるを得ない。
自分のイメージしている通りに歌うことが下手なのだ。

さすがに長年ベースを弾いていることも有り、
リズム感覚は最低限持っているつもりだが、
声で音程を取るのがいつまで経っても苦手。

丁寧に歌えば何とかなったりもするが、
気持ちが乗って、力をこめると音が外れてくる。
典型的な音痴の症状だ。

能の極意を自身の芸術論とともにまとめた世阿弥の「風姿花伝」に、
重要な要素として「まねる」という点が挙げられてる。
舞台芸術では何を演じているのかを観客にわからせるために
形態模写、声帯模写は重要な要素になる。

音楽でも、特にライブでは世界観を表現するために
上記の模写行為が上手にやれるというのは武器になる。

音痴はこういった「まねる」行為も上手くない。
音程同様、自分の出している声が正確にイメージできないことに起因するのだろう。
その結果として表現力が狭いということになる。

ロックではいわゆるジャンルが問われることが多い。
その説明、キーワードになりえるような模写行為もある。
例を挙げると、デスメタルであるためには
デス声が出来ている方がわかりやすい。

最初は誰しも先人達の声、歌い方を真似して
徐々に自分なりのスタイルにたどり着くのだろう。
スタート地点は憧れを「まねる」ことにある。
これをうまく出来ない場合、自然とその道から遠ざかってしまう。

以前、かっこいい「ウッ!」を目指して練習したことがある。
DANZIGTOM G WARRIORがよくやるようなキメ(?)だ。
何度か試してみたがどうにもダサい。
録音して後で聴くと自分でもヒヤッとする出来栄え。

出来ていない「まね」というのは「底」「意図」が滲んでしまって
余計に伝えたいものが濁ってしまう。
そして失敗が怖くなってさらに遠ざかっていくのだ。

以前、テレビの企画かなんかで
物まねのうまい人は歌もうまいとの仮説を検証していた。
数名の物まね芸人を呼び、歌を歌ってもらうという企画だったが、
歌が下手な人もおり、仮説立証にはいたらなかった。
私は逆だと思う。
歌のうまい人は物まねもうまいと思う。

音痴を前向きに捕らえるなら
オリジナルになれる可能性が高いといえるかもしれない。
あまり汎用性のないオリジナルではあるが。

以上、音痴についてつらつら書いてみました。
ちょっと自虐が過ぎましたのでこの辺で。


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