翻訳

ウィトゲンシュタインは
音楽を楽譜に落とし込む作業を
「翻訳」と呼んでいる。
すごく面白い表現だと思う。

言語間の翻訳で意味やニュアンスを完全には移行できないのと同様、
音楽でも楽譜では表現しきれない要素がある。
「音楽」→「楽譜」は「聴覚情報」→「視覚情報」への翻訳となるので、
言語翻訳以上に翻訳精度が低くなると考えられる。

聴覚から聴覚への移行でも、
ライブと音源の違いはもはや翻訳に近いものかと思う。
ライブの緊張感、音圧、一体感、空気などは
音源には移しこめない。
反対に音源の完成度、演出(オーバーダブ、効果音など)、ステレオ感などは
ライブでの再現は難しい。

音源を聞いてライブに行くと、
がっかりすることもあれば、ライブならではのすごさに驚くこともある。
両者は完全には一致しない。
やはり翻訳なんだと思う。

ライブをやる以上、この「ならでは」の部分っていうのが必須だと思うし、
新たな「ならでは」が無いものかと模索している。

「ならでは」にもいろいろ有る。
お客さん主体で言えばシンガロングやモッシュの一体感、熱気はライブならではだ。
演者主体であれば緊張感、突発的なアレンジなんかが上げられるかと思う。

もうひとつの演者主体の「ならでは」には
演出、装置といったものが挙げられるかと思う。
例えば、PINK FLOYDのライブはすさまじい舞台演出でお客さんの心情を揺らす。
これも音源では伝えられない。
まぁ、この場合は大道具に近いので音楽というより
舞台芸術という側面が強いかもしれないが。


装置を生かした表現ですごく革新的だと思うのがBORISだ。
彼らのライブは多数のアンプ、キャビとローチューニングによって、
物理的にお客さんの体を揺らす。

スティービーレイボーンに「ギターの音圧でズボンのすそが揺れる」なんていう
売り文句というか、ジョークみたいな言葉があったが、
BORISは文字通り揺らす。そしてそれを表現手段にも使う。

ポストロック的に盛り上げて、クライマックスの大音圧でお客さん、会場を揺らす。
曲がもっているカタルシスをディフォルメする。
お客さんは力づくで感動させられることになる。
これはライブでしか味わえない感覚、感動だ。
もっともこの場合はライブ「ならでは」なだけでなく、彼ら「ならでは」の話だが。

あんまり褒めるのも癪なのでこの辺にするが、
間違いなく大発明だと思う。


音源が売れないと言われるようになって久しい。
ライブは音源宣伝のためであり、
目的は翻訳物である音源の販売であったような時代が終わりつつある。

だからこそライブでしか味わえない「ならでは」は、
音楽の大事な要素として目されていくべきだと思う。
そこには個々の演奏力やバンドの熟練度だけでなく、
まだ見ぬ発明も出てくるのかもしれない。
もちろん自分もずっと模索していく。

音源が売れない時代、
むしろ面白くなってきたのかもしれない。



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